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第一章
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2003-05-21 22:08
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(del#1141)
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『Free as in Freedom』の第1章「For Want of a Printer」の訳文(八木都志郎訳)です。
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Japanese
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1. プリンタがなかったばっかりに

私はギリシア人(Greek)を恐れる。たとえ彼らが贈り物を携えて来たとしても。
--- ヴェルギリウス『アイネーイス』


新品のプリンタが紙づまりになった。またもや。

マサチューセッツ工科大学の人工知能研究所(AI 研)のソフトウェア・プログラマ、リチャード・M・ストールマンはようやくマシンの不調を突き止めた。オフィスのレーザープリンタに50ページのファイルを送信してから1時間後、27歳のストールマンは自分の文書を回収しようと仕事の手を休めた。だが、近付いてみると、プリンタのトレーの中にはたった4ページしか見つからない。さらに腹立たしいことに、その4ページは他の誰かのもので、つまりストールマンの印刷ジョブやその誰かの残りの印刷は研究所のコンピュータ・ネットワークの配線のどこかにいまだにひっかかったままなのだ。

マシンに待たされるのは、ソフトウェアのプログラマならよくあることだ。だからストールマンもそれほど苦にはしていない。だが、マシンを待つのとマシンの世話を焼くのとでははっきりとした違いがある。プリンタの側に立って紙が一枚また一枚と印刷されて出てくるのを眺めるのはこれが初めてというわけではない。マシンとそれを制御するソフトウェアの効率を上げるため日夜掛かり切りの人間として、ストールマンはそのマシンを開け、中身を見て、問題の根源を見つけたいというごく自然な欲求を覚えた。

残念なことに、コンピューター・プログラマとしてのストールマンの技術は機械工学の世界にまでは及んでいなかった。印刷された文書がしれっとした顔でマシンから吐き出されると、ストールマンは印刷時の紙づまり問題を回避する別の手段をじっくり考える機会を得た。

AI 研のスタッフメンバーが新しいプリンタを心から歓迎したのは、いったいどれくらい前だったろう?ストールマンは思い起こしてみた。このマシンはゼロックス社からの寄贈品だった。最新のプロトタイプで、人気の高かったゼロックスのコピー機を改良したバージョンだ。たんにコピーを取るだけでなく、コンピューター・ネットワーク越しに繋がったソフトウェアのデータを元に、そのデータをプロの手になるような見栄えのする文書に仕立て上げてくれる。世界的に有名なゼロックスのパロアルト研究所でエンジニアたちによって開発されたそのマシンは、単純にいうならば、数年後に他のコンピュータ産業にも根付くことになるデスクトップ・プリンティング革命の初期のスタイルだったといえよう。

最高の新機種をいじってみたいという本能的な欲求に動かされ、AI 研のプログラマたちはすぐに新しいマシンを研究所の洗練されたコンピュータのインフラに組み入れた。結果はただちに満足いくものになった。研究所にあった古いレーザープリンタと違って、新しいゼロックスのマシンは速かったのだ。秒毎に飛ぶように印刷され、20分かかっていた印刷が2分になった。新しいマシンはさらに正確な再現性もあった。円は楕円ではなくちゃんと円のように見える。直線は振り幅の小さい波形ではなくちゃんと直線になっていた。

どの点からみても、それは拒むには惜しい寄贈品だったのだ。

マシンの欠陥が表面化したのは、登場から数週間も経たない頃だった。不具合の中でもひどかったのはマシンに固有の紙づまりの発生率の高さだ。機械いじりの腕に覚えのあるプログラマはすぐに欠陥の真の理由を理解した。コピー機の場合、通常マシンは操作する人間が直接管理する必要がある。ゼロックスのエンジニアたちは、もし紙づまりが起きれば操作する人間がその場に居て直すと見積もって、自分たちの時間と精力を他の厄介な問題を消すことに振り分けたのだ。エンジニアリングの世界では、ユーザー側の努力はシステムに折り込み済のものとされる。

プリンタとして使用するためにマシンを改造するにあたって、ゼロックスのエンジニアたちはユーザとマシンの関係を微妙ではあるがややこしいものに変えてしまった。マシンは操作する人間の補助をするものから、ネットワークで繋がった全員の仕事をこなすものになったのだ。マシンの傍に立っているかわりに、ネットワークの端にいる人間のユーザーが、望みのコンテンツが大規模なバケツリレー方式で狙った目的地まで届いて仕上がってくれるのを期待しながら印刷コマンドを送る。希望した文書がほとんど仕上がらなかったのが分かるのは、最後に出力されたものをチェックしに行ってからだ。

ストールマン自身、最初に問題を確認して、改善手段を提案した一人だった。何年か前、研究所がまだ古いプリンタを使っていた時代、ストールマンは同じような問題をプリンタの制御に利用されていた PDP-11 上のソフトウェアの中を開いて解決したことがあった。紙づまりは駆逐できなかったが、 PDP-11 にプリンタを定期的にチェックして研究所のセントラル・コンピュータ PDP-10 にレポートを送信させるコマンドを挿入することは出来た。あるユーザーの怠慢により一連の印刷ジョブが全てダウンしてしまわないよう、彼は PDP-10 がどのユーザーにもプリンタが詰まっているので印刷ジョブは待つようにと知らせるように命令するコマンドも挟んでおいた。このお知らせは、例えば「プリンタに紙が詰まっています。直してください」といったようなシンプルなもので、問題を修復する必要に最も迫られた人に届くため、それなりの時間内に解決される確率が高い。

改良が進むにつれ、ストールマンの方法は遠回しではあるが洗練されたものになった。問題の機械的な部分については直さないが、ユーザーとマシンの間の情報ループを閉じることによって次善の策の役目は果たす。ソフトウェアのコードに追加された数行のおかげで、AI 研の職員はプリンタまで行ったり来たりしてチェックするために毎週費やしていた時間の10分か15分を省くことができるようになった。プログラミングの用語でいうなら、ストールマンの修復方法はネットワーク全体の知恵を寄せ集めて利用するものだ。

「そのメッセージを受け取れば、誰かが直してくれるだろうとはいっていられなくなるんだ」この仕組みを思い出しながらストールマンは言った。「自分がプリンタのところに行かなきゃならない。プリンタにトラブルが起こって1、2分もすれば、メッセージを受け取った2人か3人がやって来てマシンを直す。この2、3人の中の少なくとも1人くらいは、たいてい直し方を知っている」

この手の見事な解決手段は AI 研とそこに生息するプログラマのトレードマークだった。実際、AI 研でも最高のプログラマはプログラマ用語を嫌い、その代わりにもっと俗語めいたハッカーという職業名を好んだ。この仕事名がカバーする活動は非常に多く、クリエイティブで愉快なものから既存のソフトウェアやコンピュータ・システムの改善までのあらゆるところまで及んでいる。だが、この名前が暗に意味しているのは、古風なヤンキー的創意工夫の概念だ。ハッカーになるためには、ソフトウェアのプログラムを書くのはただの始まりに過ぎないという哲学を受け入れなければならない。真のハッカーの技量が試されるのはプログラムの改良なのだ。 (1)


ゼロックスのような大企業が自分たちのマシンやソフトウェアをハッカーたちがいつも集まっている場所に寄贈していのは、主にこの哲学がその理由だった。ハッカーがソフトウェアを改良すれば、企業はそれを借用して販売する市場向けのアップデート版に取り入れることができる。企業の側からすれば、ハッカーは利用可能なコミュニティという資産であり、最小限のコストで利用できる研究開発補助部門だったのだ。

ストールマンがゼロックスのレーザープリンタの紙づまり問題を発見したときにパニックを起こさなかったのは、このギブアンドテイクの哲学があったからだ。彼は単純に新しいシステムのために古い改良箇所や「ハック」をアップデートする方法を探そうとした。だが、ゼロックスのレーザープリンタ用ソフトウエアを調べてみると、ストールマンは厄介なことを発見した。プリンタにはソフトウェアがないのだ。とにかく、ストールマンや仲間のプログラマにも読めるものが何もない。それまではどの企業もソフトウェア毎にマシンに命令を伝えるコマンドの書かれたソースコードを読めるテキストファイルを出すくらいのことはしてくれていた。今回、ゼロックスはソフトウェアをコンパイルされた、いわゆるバイナリ形式で提供していたのだ。プログラマは好きなときにファイルを開いても構わなかったが、1と0が延々と続くのを解読する専門家でもない限り、出力されるテキストはまったく訳の分からない代物だった。

ストールマンはコンピュータの知識は豊富だったが、バイナリファイルを解読するのは専門外だった。しかしハッカーである彼には他にもお得意の手がある。情報の共有という考えはハッカー文化の中心をなすものであり、時間さえ過ぎればどこかの大学の研究所か企業のコンピュータ室のハッカーが立派なソースコードのファイルと一緒にいずれかのバージョンのレーザープリンタのソースコードを提供してくれるだろうと分かっていたのだ。

最初の何度目かの紙づまりの後で、ストールマンは何年か前にも似たような状況があったことを思い出して気を粉らせた。研究所で PDP-11 をもっと効率よく PDP-10 と連動させるためのクロスネットワークプログラムが必要になったことがあった。研究所のハッカーには手に負えなかったが、ハーヴァード大学の卒業生だったストールマンはハーヴァード大のコンピューターサイエンス学部のプログラマが書いた似たようなプログラムがあったのを思い出した。ハーヴァード大のコンピュータ研究所はオペレーティング・システムは別だが同じ PDP-10 を使っていた。またハーヴァード・コンピュータ研究所には PDP-10 にインストールされるあらゆるプログラムは公開されたソースコードと一緒でなければならないというポリシーがあった。

ハーヴァードのコンピュータ研究所に出入りできる立場を活かして、ストールマンはちょっと立ち寄ってクロスネットワークのソースコードのコピーを取り、AI 研に戻った。そのとき彼は AI 研のオペレーティング・システムにさらに適合するようソースコードを書き直した。特にたいしたごたごたもなく、AI 研 はソフトウェア・インフラ格差を埋めることが出来た。ストールマンはさらにオリジナルのハーヴァードのプログラムにはなかった機能をいくつか付け加えて、プログラムをより便利なものに仕上げた。「僕らは大喜びで何年もそいつを使い続けたよ」とストールマンは語っている。

1970年代のプログラマの見方では、ソフトウェアのやり取りは近所に寄ってお隣から工具や砂糖を借りてくるのに等しい行為だった。唯一の違いは、AI 研のためにソフトウェアをコピーさせてもらうのにストールマンはハーヴァードのハッカーに自分たちのオリジナルのプログラムを使えなくしてしまうことはないという点だけだ。むしろハーヴァードのハッカーはこの場合は得をしている。なぜなら、ストールマンは自分でそのプログラムに追加の機能を導入し、ハーヴァードのハッカーはそれを完全に自由にまた借りてくることができるのだから。ハーヴァードからは誰もプログラムを借り出しに来た人はいなかったが、民間の建設会社 Bolt, Beranek & Newman のプログラマがやって来てプログラムを借り出し、いくつか機能を追加したものをすぐに AI 研のソースコード・アーカイヴに取り込んだことをストールマンは覚えていた。

「プログラムは都市開発みたいに開発されていくものなんだ」AI 研のソフトウェア・インフラを思い起こしながらストールマンは語っている。「あちこちが差し換えられ、再構築されていく。新しいものも追加されていくだろう。でもいつでもどこかを見て『ほう、スタイルからすると、ここは60年代初期に書かれたんだな、それからこっちは70年代中頃のものだ』と分かるものなんだ」

知識を追加増大させていくこのシンプルな手法を通じて、AI 研やその他の場所にいるハッカーたちは強力な作品を作り上げていた。西海岸では AT&T の下級エンジニアと共同作業していたカリフォルニア大学バークリー校のコンピュータ科学者たちが、この手法でオペレーティング・システムをまるごと完成させた。Unix と呼ばれる、学究レベルではよりまともな旧式の Multics という名のオペレーティング・システムの影響を受け、そのソフトウェア・システムは磁気テープにコピーする実費と送料を負担する気があればどのプログラマにも利用可能なものだった。全てのプログラマが自らをハッカーと呼ぶこのような文化に加担していたわけではないが、大半の人間はリチャード・M・ストールマンと同じ感情を分かち合っていた。カルマを上げるためにもどうして単純な欲求を分かち合うのは当然ではないか。

ゼロックスがソースコードを共有したがらなかったという事実は当初たいしたことではないように思われた。ソースコードのファイルを探していたとき、ストールマンはゼロックスにわざわざ連絡したりはしなかったという。「もうレーザープリンタをもらっていたんだから」ストールマンは言った。「また世話をかけるのも悪いだろ?」

しかし、望んでいたファイルを出すのに失敗すると、ストールマンに疑問が芽生えた。前の年に彼はカーネギーメロン大学の医学生との間にある揉め事を経験していたのだ。ブライアン・リードというその学生は、Scribe という名の便利なテキスト・フォーマット用プログラムの作者だった。ユーザーがネットワーク越しにドキュメントを送信する際にフォントや書式を指定できる最初のプログラムの一つで、ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の共通語である HTML に先駆けるものだ。1979年にリードは Scribe をピッツバーグ近郊のソフトウェア会社 Unilogic に売却することにした。彼が言うには、大学院生としての生活が終わるので、プログラムがパブリック・ドメインになってしまわないように配慮してくれるデベロッパに委ねる方法を探していただけだという。取り引きを有利にするため、リードは時限式機能、プログラマの用語で「時限爆弾」と呼ばれる、無料でコピーされたそのプログラムを90日後に期限切れにして動かなくさせるプログラム一式を追加することにも同意した。アクティベーションさせるためにはユーザーはソフトウェア会社に料金を支払って内部の時限爆弾機能を解除するコードをもらわなければならない。

リードにとっては、この取り引きは両者共に利益となるものだった。Scribe はパブリック・ドメインになることもなく、Unilogic 社は投資を回収することになる。ストールマンにとっては、それはプログラマの倫理への裏切り以外の何物でもない。互いに共有し合うという意図を尊重せず、その代わりにリードは企業にプログラマが情報アクセスするために支払いを強制させるための手段を盛り込んだのだ。

一週間が過ぎ、ゼロックスのレーザープリンタのソースコードを突き止めるという試みが壁に行き当たった頃、ストールマンは前と同じような金のためのコードというシナリオが動いているのではないかと勘付き始めた。だが手も足も出なくなる前に、ようやくプログラマの風の噂でいい知らせが伝わってきた。話によれば、カーネギーメロン大学のコンピュータ・サイエンス学部の科学者がゼロックスのパロアルト研究所の仕事を辞めたという。その科学者が件のレーザープリンタを担当していたのだが、噂では彼はカーネギーメロン大学の調査業務の一環として今でもまだその担当だというのだ。

これまでの疑いは捨て、ストールマンは次にカーネギーメロン大学のキャンパスを訪れる際にはその人物が誰なのか突き止めてやろうと堅く決意した。

ほどなく、その機会がやってきた。カーネギーメロン大学にも人工知能を研究するための施設があり、数ヶ月以内にストールマンはビジネス絡みの理由からキャンパスを訪れることになったのだ。訪問中、コンピュータ・サイエンス学部に立ち寄るのを忘れなかった。学部の職員はゼロックスのプロジェクトを指揮する教員用施設に案内してくれた。ストールマンがオフィスに辿り着くと、教授がそこで仕事をしていた。

エンジニア風のスタイルで、会話は真摯だがぶっきらぼうなものだった。MIT から来たとおおまかな自己紹介を済ませると、ストールマンは PDP-11 に移植するのでレーザープリンタのソースコードが欲しいと頼んだ。すると驚いたことに、教授は彼の申し出を聞き届けるのを拒んだのだ。

「君にコードは渡さないと約束してしまったんだと言ってたよ」とストールマンは語っている。

記憶とはおかしなものだ。この件から20年経って、ストールマンの過去の記憶は周知のごとくすっぱり途切れている。訪問の目的や、その年のいつ頃のことだったのか思い出せないだけでなく、その会話の相手だった教授か大学院生を思い出すことさえ出来ないのだ。リードによれば、ストールマンの頼みを断ったその相手はゼロックスのパロアルト研究所の元調査員で現在はコンピュータ技術の大企業サン・マイクロシステムズの研究機関 Sun Laboratories のディレクター、ロバート・スプロールではないかということだ。1970年代、ゼロックスのパロアルト研究所にいた頃にスプロールは件のレーザープリンタ用ソフトウェアの主要開発者だった。1980年頃、スプロールは他のプロジェクトと同時にレーザープリンタの作業も続けていたカーネギーメロン大学で研究員の地位に就いている。

ストールマンが欲しがったのはスプロールがカーネギーメロン大学に来る一年ほど前に書いた最新・最先端のコードだったんだ」リードは回想している。「欲しいと言われた時、スプロールがカーネギーメロン大学に来て一ヶ月も経っていなかったんじゃないかな」

だが、スプロールに直接この要求があったことについて聞いてみると、全く覚えていないと言われる。「事実をお話しすることは出来ません」スプロールは電子メールで答えている。「その出来事を全く思い出せないのです」

このざっくばらんな会話の当事者である両人が肝心なことをを思い出せずに苦労しているほどなので -- 会話した場所さえ思い出せないのだ -- スプロールがどの程度きっぱりと断ったのかはストールマンの記憶の通り曖昧なままだ。聴衆を前に話すときにも、ストールマンは何度もこの出来事を持ち出したが、スプロールとゼロックス社の間で交わされた、スプロールだけでなく調印した誰もが機密を守ることと引き換えにしかソースコードにアクセスできないという契約上非開示契約により彼が出し惜しみした件については全く触れていない。今ではソフトウェア産業では普通のビジネス種目となった非開示契約、NDA は当時は目新しいもので、ゼロックス社にとってのレーザープリンタの商品価値とそれを動かすために必要な情報のどちらも考慮されている。「ゼロックスは当時、レーザープリンタから商品になるものを作ろうとしていたんだ」リードは回想している。「ソースコードを渡すなんて正気の沙汰じゃないと思ったはずだよ」

だがストールマンにとって、NDA はとてつもなく重大なものだった。それは、これまではプログラマを共同体の財産としてプログラムに関わるようにしていたシステムに参加するのを、ゼロックスとスプロール、あるいはあの日ソースコードを渡すのを拒んだ誰かのどちら側からも拒絶されたということなのだ。ずっと使っていた用水路が突然干上がってしまった農民のように、ストールマンは水路を辿り、水源に辿り着いてみると、そこにはゼロックスのロゴ入りの真新しい水力発電用ダムがあるのを見つけたというわけだ。

ゼロックス社が仲間のプログラマに秘密を守るよう強制するこの新式のシステムを押し付けることに気が付いても、ストールマンはピンとくるまでにしばらく時間がかかった。最初にはっきりしたのは、生理的な拒否反応だった。ほんの目の前で起きた事柄に面食らってしまい、仲間のプログラマのもとに予告なしにちょっと立ち寄ろうというストールマンの試みは、こちらは友好的なんだとデモンストレーションしているかのように解釈されてしまっていた。そしてそれが拒絶された今となっては、まるで大失敗でもしでかしたような気分だった。「あんまり頭にきたんで、どうやってそれを表に出せばいいのか分からないくらいだったよ。だから何も言わずにただ背を向けて出て行ったんだけど」ストールマンが回想している。「きっとドアを乱暴に閉めるくらいはしたかもね。分からないけどさ。とにかく出て行きたかったことしか覚えてないよ」

20年が経った今もまだ彼の怒りは収まっていないが、そんな訳でストールマンは大きな転換点を迎えることになった。それから数ヶ月ほどの間、ストールマンや AI 研のハッカーたちのコミュニティは遠く離れたカーネギーメロン大学に向かって30秒ほど怒りをぶつけたくなるようなトラブルに何度も見舞われたが、割合に平静を保っていた。だが、それにもかかわらず、ストールマンを中央集権化された権力に本能的な疑念を抱く一匹狼のハッカーからソフトウェア開発の世界に自由、平等、博愛の精神を謳う活動家へと変えた出来事は何だったのかという段になると、ストールマンはカーネギーメロン大学での仕打ちを選んで特に注意を喚起する。

「前から考えたいたことをまた考えさせてくれたよ」ストールマンは語っている。「ソフトウェアは共有されるべきだという考えは以前から持っていたんだ。でもうまく考えがまとまっていなかった。まだぼんやりとしていたし、世界中に向けて簡明なかたちで伝えられるところまで体系づけられてはいなかったんだ」

前記の出来事はストールマンを激高させたが、カーネギーメロン大学陣営との対決よりも前に、彼自身は自分がずっと聖域と思っていた文化にこの手のことが侵入し始めていたのに気付いていた。世界でも屈指のエリート校の、その中でもエリートに属するプログラマとして、ストールマンは自分の作業に支障をきたさない限りは仲間のプログラマの妥協や取引のことは無視していた。ゼロックスのプリンタの一件まで、ストールマンはユーザーに我慢を強いるようなマシンやプログラムをただ見下すことで満足してきた。ごくまれに AI 研がそんなプログラムの襲来を受けることもあったが -- 例えば、研究所がかの気高き Incompatible Time Sharing オペーレーティング・システムを商用版の TOPS 20 に交換した際など -- ストールマンと同僚のハッカーたちは個人的な好みに合わせてソフトウェアを自由に書き換え、再構成し、名前を変更してきた。

だが、レーザープリンタが AI 研のネットワークにうまく入り込んだ今、何かが変わってしまっていた。たまに紙づまりを起こす他はマシンはちゃんと動くが、個人の好みに合わせて修正することは出来ないのだ。ソフトウェア産業全体にとって、レーザープリンタは警鐘となった。ソフトウェアがこれほど価値のある財産であるならば、企業はもうコードを公開する必要を感じることなどない。特に公開することで潜在的競争相手に安価で複製する機会を与えるのならば尚更だ。ストールマンにとっては、プリンタはトロイの木馬のようなものだった。手を打たずに10年間過ごした結果、私有ソフトウェア -- 後のハッカーは「独占ソフトウェア」という名称を使うことになった -- はもっとも卑劣なやり方で AI 研の内部に足場を築いていったのだ。最初は贈り物のふりをして。

ゼロックスが機密を守るのと引き替えにプログラマにアクセスさせているのも心痛ではあったが、ストールマンはもし若いときにそんな見返りを提示されれば、自分もゼロックスのオファーを受けてしまっただろうということにも気づいた。しかし、カーネギーメロン大学の一件のわだかまりが、ストールマン自身、これまでいい加減だったモラルに強い影響を受けることになった。将来、どんな頼まれごとも疑いの目を持って見なければならないということも腹立たしかったが、それはこんな心苦しい問いを発せざるを得なくさせるものでもあったのだ。すなわち、もし自分のオフィスに仲間のハッカーがやって来て、ソースコードをくれないかと頼まれたらそれを拒むのがストールマンの役目になってしまう日が来たらどうするのかと。

「これが非開示契約との最初の出会いで、すぐに非開示契約というものには犠牲者が付き物だということを学んだんだ」とストールマンは断固とした口調で語っている。「このケースでは、僕がその犠牲者だった。(研究所と僕が)犠牲者だったんだよ」

このことは MIT の仲間たちの多くが AI 研を去りそれぞれ非開示契約にサインしていった激動の1980年代の間ずっとストールマンに付きまとう教訓となった。大半の非開示契約(NDA)には期限があるため、ハッカーの中にはあまり深く考えることもなくサインした者もいた。彼らは遅かれ早かれソフトウェアは公知のものとなると判断したのだ。そうこうするうちに、開発の初期段階にあるうちはソフトウェアの機密を守るということが、ハッカーが最高のプロジェクトに参加する条件となっていった。だが、ストールマンにとってそれは滑りやすい坂道への第一歩なのだ。

「そうやって同僚をみんな裏切るようなことをしないかと誰かに誘われた時、自分や研究所のみんながそんな目にあった時にどれだけ頭にきたかを思い出したよ」ストールマンは語っている。「だから言ったんだ、素敵なソフトウェアにお誘いいただいてどうもありがとうございました。でもそちらの条件では承諾できませんので、私はそんなものなしに済ませますよ、ってね」

ストールマンがすぐに身をもって学んだように、そのような要求をはねつけるのは自己犠牲以上のものを伴うものだ。機密に対しては同じような嫌悪感を抱いていたが、もっと融通が利いたやり方でそれを表明していた仲間のハッカーたちから、ストールマンは孤立してしまうようになった。AI 研の内部でさえますます孤立を深める中で、独占ソフトウェアがさらに支配力を増していく市場と絶縁し、ストールマンが「最後の真のハッカー」を自称するようになるまでにはそれほど時間はかからなかった。他人がソースコードを求めるのを断るのは、ストールマンは意を決した。第二次世界大戦以来ソフトウェア開発を育んできた科学のモラルに背くだけでなく、自分にして欲しいことを他人にせよとする、モラルの基礎である黄金律にも背くことなのだ。

よって、レーザープリンタとそのために受けた仕打ちは重要なことなのである。それがなければ、とストールマン自身が語っているが、彼の人生は商用プログラマとしての富で誰にも見えないコードを書くことに人生を費やすという極度のフラストレーションを埋め合わせながら、もっと普通の道を辿ることになっただろう。そうなれば明快さを心がけることもなく、他人が扱わないような問題に急いで取り組むこともない。最も重要なことは、そこには正しい怒りもなければ、すぐ後に見ていくような、ストールマンのキャリアをどの政治的イデオロギーや倫理的信念よりも推し進めていった情熱もなかったはずだ。

「あの日以来、二度とこの手のものには関与しないと誓ったんだ」個人の自由を便利さと引き換えにするこの慣行 -- ストールマン流の NDA という慣行の描写だ -- と、同じくこの手の倫理的に怪しげな取引を後押しする文化をまず暗に当てこすりながら、ストールマンは語っている。


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